「瞑想は瞑想のために行うのであって、
集中力アップとかストレス軽減などのために行うことは不純である。
そのような目的を持つと目的達成まで瞑想を行うことになり、
瞑想に耽溺したり、いわゆる“魔境”に入ることになって危険である」
そんな話からのじゃあやってみましょうで
最近学んだタイの「手動瞑想」を行う。
その名の通り手を動かしながら行う瞑想である。
勘違いされがちだが、瞑想とは無心になることではない。
自分が何に気づいているかに気づき、
その気づきをほっかっておく連続行為こそが瞑想だ。
例えば瞑想中に夕飯のことが頭に浮かんだとする。
無心になろうとすれば
(いかんいかん、瞑想に集中せねば)と雑念を打ち消す雑念が湧いてくる。
火を消すのにダイナマイトを使うがごとき所業。
そうではなく、
(いま夕飯のことを考えているな)
とそのことに気づき、その想いをほおっておくのである。
(肩が凝ったな、と感じているな)
(どのくらい時間が経ったか、と考えているな)
(これらの想いに気づいてほおっておこう、としているな)
という一瞬一瞬に気づき、「それはそれとして」と脇に置くのが瞑想である。
結果として「いま、ここ」という時間の消し飛んだ永遠にいることになる。
・・・いったい何のクラスだ?
動画は閃電手。「1、2、3」を一筆書きで「い~~~~ち」にしたいところ。
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