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執筆者の写真北区堀船カンフークラブ

同じ雲井の月を見しかな⑨~望郷編



陳式テキスト

(全日本中国拳法連盟謹製、今でも読み返す絵伝書)

10月は感慨深い月。武術の修行を始めたのが25年前のそれだったからだ。

というわけで私の修行歴も26年目に突入である。プロフィール変えとくか?

四半世紀もやっているとあれこれのエピソードがあるものだ。

今回のお話しもそんな体験のひとつ。

何のめぐり合わせか、その時道場には師と私の二人だけがいた。

当時、いまから10云年前、修業のペースは伝統武術の世界を色濃く残していた。

私の武術修業は陳氏太極拳という太極拳の一派から始まった。

修行はその門派の理論通りに動ける身体を作るための修行から始まる。

いわゆる「基本功」だが、その数種類の動作を全て学ぶのに半年かかった。

それからは基本功も行いつつ太極拳の型を学んでいくのだが、

一回の指導で一手進み、

次の指導でもう一手、

復習だけの回もあり・・・、

と、「老架一路」と呼ばれる型一つを全て学ぶのに3年の月日が流れていた。

それとて動作を覚えたというレベルで到底「太極拳」と呼べるシロモノではない。

基礎練習が大好物の私は黙々とそれをこなす。

思えば「型一つに三年」というのは私の大きな財産の一つである。

そうこうしている内に私の修業歴も十年を数えていた。

そして、その時道場には師と私の二人だけがいたのである。

「佐々木くん」師が語りかける。

「君もこれだけ武術を修業してきた。

そろそろ“なぜ武術を修業するのか”ではなく

“武術を修業することで自分は何を表現するのか”。

佐々木くんはそれを考えなくてはならない」

あれから十年余。今も胸にこだまする師の言葉。

まだ答えはでない。

だが暫定回答はこの「北区堀船カンフークラブ」である。

私は伝統をつなぐ鎖の一つとなって、私の中身を人に残すことにした。

まあ、秋の夜長は人を

「メランコリックな思い出旅行」(byドロンジョ様)に連れていく、

ってことでひとつ。

(つづく)

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