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執筆者の写真北区堀船カンフークラブ

同じ雲井の月を見しかな⑥~予感編



全日本中国拳法連盟

10代の体力、回復力はバカにできない。

腕の上げ下げに負担がなくなり、箸が自由に使えるようになり、

私は日一日と元気になっていった。

確か新学期が始まる前、夏休み中に退院できたような気がする。

ベッドの上で幾度となく読み返した『武術』。

使えるエネルギーが身の内にあると、徐々に色々なことが読み取れるようになる。

どうやら“発勁”とはかめはめ波のようなエネルギーの放出ではなく、

全身の動きを無駄なく連動させて発する力であること。

一口に太極拳、形意拳、八極拳と言っても、

流派や伝系によって無数のバリエーションがあること。

そして、学ぼうと思えば日本に居ながらにして中国武術が習えそうなこと。

・・・習う? 中国武術を? この俺が?

身の内に走る衝撃。予感。

そうか、俺が武術を学んだっていいんだよな。

俺が門を叩くのを待っている流派があるかもしれないよな。

よく見ると、『武術』は結構な割合で教室やビデオ教材の宣伝があるではないか。

うーん、さすがにビデオで中国武術は学べないだろうな。

形はマネできても似て非なるものになってしまうだろう。

では教室、道場か。

兵庫県、大阪府、福島県・・・。だめだな。

〇〇日で××拳を完全マスター? いや俺向きじゃない。

そもそも俺は何を学びたいかと言えば・・・

そう、太極拳。それも陳家太極拳だ。

ゆっくり丁寧に、段階を追ってまず

「太極拳を表現するための身体」から作っていくらしい修行法。

地味にコツコツが好きななんとも俺向きじゃないか。

そんなことを考えながらぺらぺらと『武術』を手繰っていく。

何度となく通過したそのページ。左端三分の一を占める教室の案内。

今にして思えば、

「人は必要な時に必要なものに気づく」という好例がここにあったのだ。

(つづく)

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