10代の体力、回復力はバカにできない。
腕の上げ下げに負担がなくなり、箸が自由に使えるようになり、
私は日一日と元気になっていった。
確か新学期が始まる前、夏休み中に退院できたような気がする。
ベッドの上で幾度となく読み返した『武術』。
使えるエネルギーが身の内にあると、徐々に色々なことが読み取れるようになる。
どうやら“発勁”とはかめはめ波のようなエネルギーの放出ではなく、
全身の動きを無駄なく連動させて発する力であること。
一口に太極拳、形意拳、八極拳と言っても、
流派や伝系によって無数のバリエーションがあること。
そして、学ぼうと思えば日本に居ながらにして中国武術が習えそうなこと。
・・・習う? 中国武術を? この俺が?
身の内に走る衝撃。予感。
そうか、俺が武術を学んだっていいんだよな。
俺が門を叩くのを待っている流派があるかもしれないよな。
よく見ると、『武術』は結構な割合で教室やビデオ教材の宣伝があるではないか。
うーん、さすがにビデオで中国武術は学べないだろうな。
形はマネできても似て非なるものになってしまうだろう。
では教室、道場か。
兵庫県、大阪府、福島県・・・。だめだな。
〇〇日で××拳を完全マスター? いや俺向きじゃない。
そもそも俺は何を学びたいかと言えば・・・
そう、太極拳。それも陳家太極拳だ。
ゆっくり丁寧に、段階を追ってまず
「太極拳を表現するための身体」から作っていくらしい修行法。
地味にコツコツが好きななんとも俺向きじゃないか。
そんなことを考えながらぺらぺらと『武術』を手繰っていく。
何度となく通過したそのページ。左端三分の一を占める教室の案内。
今にして思えば、
「人は必要な時に必要なものに気づく」という好例がここにあったのだ。
(つづく)
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