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執筆者の写真北区堀船カンフークラブ

同じ雲井の月を見しかな⑦~始動編



全中拳広告

(郵便番号が3ケタですよ、奥さん!)

1992年夏、

人々は溶けかかったアスファルトに己が足跡を刻印しつつ歩いていた。

ひどく暑、くはなかった。

この年はかなりの冷夏で毎日雨が降っていたのだ。

悪友ども、俺抜きで夏を楽しもうなんてそうはいかねーぞ。ザマーミロ!

(この冷夏が記憶かそれとも心象風景なのか、今となっては分からない)

私の入院生活も40日目を迎えようとしていた。

退院迫る――。

ああやっと、ついに娑婆に出られるのか。長かった。

「退院しても急な運動はひかえてね」

お医者様からはそう忠告されていた。

もちろんです。右胸を中心に腕周りがひっつれるし、

無茶はするけど無理はしないのが俺の信条だ。

だからこの一週間というもの、病室でスクワットを始めた(オイ)。

腕を振って反動をつけずに、ゆっくりしゃがんですっくと立つ。

どこかで前田日明兄さんが紹介していたUWFのスクワットだ。

これで上半身に負担をかけずに入院前の体力に戻せるだろう。

だってもう決めたのだから。

150回からはじめて数日おきに回数を増やしていった、のだと思う。

なぜなら、想像するに下半身の強化をしておいて損はないだろうからだ。

だってもう決めたのだから。

今回は自然気胸という無事生還できる疾患で済んだ。

だけど人生何が起こるかわかったもんじゃない。

だからやりたいことは残念せずに、やってしまう方がよい。

だから俺は中国武術を始めるのだ。

道場も決めた。

『武術』に広告が載っていて、

陳式太極拳を教えていて、

我が家から自転車で通えるところ。

縁とはこういうものなのだろう。

家から近いというだけで何も考えずに飛び込んだその道場。

その令名を後から知ることになるその道場こそ

名門、全日本中国拳法連盟!

(つづく)

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