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執筆者の写真北区堀船カンフークラブ

同じ雲井の月を見しかな⑧~幕間編



怒麻重四郎師

(怒麻重四郎師。私のアイドルのひとり)

退院なる--。

だが、この頃から良くも悪くも「今を生きる」私は、この辺の記憶が霧の向こうだ。

ただ、病院から最寄り駅まで母と歩いたその道のりに、

いま務める(株)チーム医療があったとは奇縁。

そう、大塚の病院に入院していたのだった。

確か退院したのが8月。

全日本中国拳法連盟入門が忘れもしない10月16日。

この間の“空白の二か月”(大袈裟か)、いったい私は何をしていたのか?

前後関係も、時系列的事実関係も正確でないかもしれない。

モンタージュのように思い出すのは

実家の自室でスクワットにいそしむ姿

母に「今度太極拳を習うことにした」と話しているシーン

『セイバーキャッツ』を読んで怒麻氏のような老人になりたいと思ったこと

『闇の覇王』を読んで劉崇雲のような老人にはなりたくないと思ったこと

一年分の『格闘技通信』を借りて最新の格闘技シーンに一気に追いついたこと

(この友人こそ少林寺黒卍にしてサンビストの松っさんである)

九十九乱蔵と松尾象山、どちらが強いのか!? と悩んだ記憶

(後年、その答えを夢枕獏先生の口から直接聞くことになる)

などなど。

ともあれ。

次回のシーンは北区滝野川の全日本中国拳法連盟前から始まることになるだろう。

(つづく)

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