(絵心があれば絵伝書にできるのに……。九鬼神流棒術覚書)
月に一度のお楽しみ。天龍武術会の柔術稽古である。
知っていることとできること。
できることと洗練されていること。
この空隙を埋めていくのが稽古なわけだが、何せできないものはできない。
そんなことが? そう、人によって難儀なポイントが違うのだ。
これだけ修行しても「松葉折り」のくいっ、というところが心もとないし、「打ち手水車」など相手の協力がなければ到底投げられるとは思えない(「まだね」と付け加えておこう)。
その代わりこれはいいんじゃない? というものもある。「引き投げ」や「捻じり返し」などは自信の出来栄えだ。
どうせ死ぬまで修行するのだ。二進一退くらいでちょうどいいのかもしれない。
九鬼神流棒術の「太刀落とし」、棒の運用が棍と似ているようで似ていないところが面白い。
夜な夜な振って体になじませることにしよう。
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