今回は事前の欠席連絡があり柔術練習はなし。
こういうときは自分の修行をしてから帰宅する。
畳の部屋なのであえて靴下をはき、滑りやすい状態で心眼流を振る。
「この21世紀、裸足でいる時間は限りなく少ないだろう」
「使うとしたら室内ではなく、何があるかわからない路上だろう」ということで、
一時期心眼流は靴を履いた状態で修行していた。
が自分の知見が広がるにつれて、“ノウハウではなく本質を得るための修行を”と、
定式通りの身ごなしを重視して修行するようになった。
さらにそれが一巡して、“定式通りでない状態で本質が表現する”も追ってみる。
畳の目と垂直方向に振るならまだしも、畳の目に沿った方向で心眼流を振るのは至難の業。
恐る恐るでは技は鈍り、思い切りよくすれば体勢を崩す。
心理療法的にも「~~しないようにする」のを達成するのは難しい。
体勢を「崩さない」ようにではなく、ええいままよ!
アプリケーション:孫臏拳口伝「歩法は氷の上を滑るように」を起動。
結果としてぐっと間合いを詰める身ごなしになった。
こういう身体を使った実験とフィードバック、大好きだなあ。
来たれ、同好の志!
Comentários