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執筆者の写真北区堀船カンフークラブ

同じ雲井の月を見しかな⑤~衝撃Z編



『武術』中身

『武術』1992年夏号を手にしたのは、

まだ手術のダメージが癒えていなかった頃の事だと思う。

右の脇を10センチほど切り開き、そこから肺の穴の開いた箇所、そして

穴のあきそうな箇所を切除し縫合。

左脇を縫い合わせて終了。

ドクターにしてみれば何の変哲もない面白みのない手術であったことだろう。

ストレッチャーの上で麻酔が覚めた私の時間は飛んでいる。

「え、もう終わったの!?」てなもんだ。

まあそこから筋肉のひっつれと痛みが引くまでがつらかった。

この腕ホントにまた動くようになるのだろうか・・・と不安な時期を過ぎ、

一般病棟に移ったもののまだ右腕は不如意である。

そんな状況なので『武術』を読み始めたとはいえ、

自分が武術をはじめるという予感など何もなく。

ただ武術の一ファンとしてページをめくり始めたのだ。

前述したとおりこの号のメインテーマは陳家太極拳。

陳家太極拳の技法・・・あ知ってる『拳児』に出てた!

追悼劉雲樵・・・え? 亡くなったってあの劉月侠のモデル? ショック!

形意拳の解説もある、八極拳の解説もある、八卦掌も・・・。

なんかこういう雑誌が日本に存在していたってのがすごいなあ。

おお、通背拳、蟷螂拳、心意六合拳のビデオ教材!?

青龍偃月刀5万円!? 買えるの? 日本で?

全国大会? 順位はどうやって決めるんだ?

とまあこんな感じの100メガショックだったのだが、

“世界のどこかにこうやって武術の修行をしている人が本当にいるんだなあ”

“日本にいながらにして中国の武術が習える教室がこんなにあるんだなあ”

ということに感動したのだった。

実際武術教室の広告は多かったわけだが、

『武術』初読のときはその広告を真剣に見ることはなかったのだ。

(つづく)

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