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執筆者の写真北区堀船カンフークラブ

錨を二つ持つ男


「平常心」はココ。


アンカー

独身の頃も毎日稽古していたわけだが、

その場所は近所の公園であった。

時は深夜。夏も冬も体を動かすにはちょうどいい時間帯。

特に真冬。

深夜、澄んだ空気を通して仰ぎ見る冬の星座の元での稽古は

なんとも言えず感慨深いものだ。

だいたい自分の稽古にはテーマがあって、

一定期間はそれにしたがって理解を深めている。

さてある時、私は中国の棒=棍ばかり修行している時期があって、

真夜中の公園であれこれと試していた。

その公園はいわゆる普通の児童公園だったので、

狭くない代わりに広くもない。

遊具や木立に邪魔されずある程度の長いものを振り回せる場所、

公園に隣接している住宅に迷惑をかけなさそうな場所、

となると私の練習するポジションも固定されてくる。

でまあ毎日棍をイイカンジに振っていたわけだが

ある日遊具のメンテナンスか何かでその公園が立ち入り禁止になった。

仕方がないので次に最寄りの公園へ。

そしてさっそく練習を開始すると

おや?

何かおかしい。

棍を扱う感覚が違う。

取り落とす。

自分にぶつける。

何で急にへたくそになってしまったのか?

その現象は数日続き消滅していったのだが・・・。

今ならわかる。

行きつけの公園のいつもの練習ポジション、いつもの向き。

いつもの視界、いつもの風景、いつもの背景音。

つまり混然一体となったいつもの稽古の感覚。

そういった「いつもの」が棍の精度とくっついてしまったため、

違う環境=新しい公園で再現できなかったのだ。

「アンカー(船の錨のこと)」と呼ばれている現象であり、自分で設定できる技術でもある。

このケースではアンカーが外部条件だったが、

自分をいい状態にする、技の精度を増すアンカーは自分の内部に作ればいい。

というわけで、私のカラダには常時使えるアンカーが二個、

「平常心」と「闘争心」が設定してある。

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