古流武術には流派ごとに秘伝、極意、奥義などの秘密がある。
それは記号であったり、歌であったり、ただ「口伝」と書いてあったりと
巻物などにも一見一読して分かるようには記されていない。
そもそも分かるように書いてあっても修行者でなければ意味がない。
マンガの様に秘伝を得たら急にパワーアップするわけではないからだ。
とはいえ「知られていない」というのは最強の武器である。隠せるものなら隠したい。
そんな秘密の中には、様々な流派で使われている同じ言葉がある。
その最たるものが「水月」だ。
ある流派では相手との距離の取り方=間積もりの考え方であったり、
またある流派では人と剣のメタファーであったりする。
そして我らが柳生心眼流兵術にも「水月」はあるのだが・・・。
問曰 水月者如何
答曰 秋月如映池水
うーん分からない。いやなんとなく解る。
巻物の他の記述から判断するに、
「池の水に月が映じるが如く、敵の意図を己が心に映し出し勝つ」
と言ったところではないだろうか。
確かに敵の意図が掌中にあれば勝ちは疑いない。だがどうやって池の水に月を映す・・・?
という課題を抱えて早数年。いつも意識していれば解決の糸口はつかめるものだ。
それは先日開催した「ラビング・プレゼンス」という心理療法のセミナーでのこと。
「ラビング・プレゼンス」とは自分の在り方を整える方法とその考え方である。
なんとそれは時空を超えた「水月」のコンセプトと練習方法ではないか!
相手の何かを取りに行くのではない。
まず自分を心地よく、可能性に対してオープンでいることで、
必要な何かが流れ込んでくる。そういう在り方に自分を整えるのだ。
「自分を整える」のくだりは柳生新陰流の「病のこと」と軌を一にする。
そうしてはじめて月を池の水に映じさせることができるということか!
そのための実習もたっぷり行った。もちろんセミナーの場ではラビプレを目指して。
家に帰ったらさしずめ「キリング・プレゼンス」の練習か!?
いやいや、人を活かすための「水月」である。また日課が増えた、という話。