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執筆者の写真北区堀船カンフークラブ

瞑想という習慣



(我が愛刀、鹿嶋の黒き木剣)

職業柄、瞑想について学ぶことも多い。

瞑想とは無念無想になることに非ず。

呼吸でも、月でも、漢字一文字でもいい、

何か一つのことだけに意識を集中し続けることをいう。

言うは易く行うは難し。我ら凡骨の頭には必ず雑念が湧いてくる。

「余計なことを考えてはいけない」

「この雑念をどうにかしなくては」

このような態度こそ瞑想を邪魔するものである。

ではどうするか。

「ああ余計なことを考えているな」と気づくこと。

「“この雑念をどうにかしなくては”と考えているな」と気づくこと。

そしてその気づきをそのままにほおっておき、

呼吸なり、月なり、漢字一文字なりに意識を向けなおすこと。

これこそが瞑想である。

注意を集中するものは何でもいい。

だから最近習慣にしているのは

「木剣をにぎる感覚だけに注意を集中する」瞑想である。

自然に立つ。切っ先を下に、その重さを感じて木剣を手にする。

その手から徐々に力を抜いていく。

あとほんの少しでも手の内を緩めたら木剣を取り落とす、

そのぎりぎりを感じてそれだけに意識を向け続ける。

「身体が揺れてきたな」

「“どのくらい時間が経ったかな”と考えているな」

「“この瞑想が武術の修行に役立つかな?”と頭をよぎったな」

気づき続ける。

「“もうそろそろやめよう”と思ったな」

だいたい30分が過ぎている。

これが何かの役に立つかどうかは分からない。立ったらそれは嬉しい。

だが瞑想は瞑想それ自体のために行うもの。目的を持ったら瞑想ではないのだ。

ただ、“この瞑想にカッコいい名前を付けたいな”ということには気づいている。

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