「手ほどき」についての私の考えをまとめてみた。
前提その1 手ほどきは腕を取ってきた相手をどうこうする稽古ではない
相手を制圧したいなら空いているもう片方の手でぶん殴ったり、つま先で向こう脛を蹴り飛ばしたりする方が手ほどきするより手っ取り早い。
前提その2 手ほどきは取られた腕を自由にする稽古ではない
単に腕を振りほどくだけならもっと簡単な方法がある。そもそもどのような強力で掴まれてもそれでおしまいなどと言うことはない。手ほどきのようなお約束が満載の方法を取るまでもない。
というわけで、手ほどきを稽古する意味は型に入るための身体運用法を学ぶためにあるのだと思う。本来人は「○○するために」相手の腕を取る。だが手ほどきの相手はその先にある「○○するために」という意図無しに、腕を取るために腕を取ってくれるのだ。だから「腕を取るために」腕を取りに行く緊張感たっぷりの演武などナンセンスだと私は思う。
そこで手ほどきの取りと受けで、お互いの技量を向上させるための仕事が始まる。つまり、受けはお約束の通りに理に適って手ほどきする。取りは受けが理に適っていない動きをした時にその手ほどきとぶつかって止めてあげる、だ。だから受けの理にかなった手ほどきに対して受けは気持ちよく手をほどかれなくてはならない。そうしないと取り受けともに正しい感覚が得られない。
したがって、取りは受けの理に適っていない動きを感知するために、繊細な握り方をしなくてはならない。上記のとおり手ほどきは、何がなんでも手を振りほどかれないようにする稽古でも、何がなんでも手を振りほどく稽古でもない。逆に強力をもって腕をつかんでくる相手には手ほどきを使うまでもない。
そこで思い出されるのは師匠の言葉だ。今を去ること20数年前。私も師匠も若かった。ある飲み会の席でこんな質問をぶつけてみた。
「もし先生がその辺でもめ事に巻き込まれたら何が(どの武術の技が)出るんでしょうね」
先生少し考えぽつりと「やっぱり形意拳かなあ」。そのあとの一言がふるっていた。
「でも形意拳を使わなくちゃいけない相手がいるかどうか・・・」
そう、手ほどきは、手ほどきをもしくは型を使わなくてはならない相手に遭遇した時のための稽古である。日本の武術が花開いたのは平和な江戸時代。明日をも知れぬ命の心配なく武術の稽古ができる環境になって初めてこんな悠長なことを言っていられるのだ。だから江戸の世、すでに武術は遊びだったのだろう。
最近の日本は色々と危なくなってきた、というのは措いておいて、このような一生使う機会がないであろう技術を磨き続けることの楽しさよ。さあまた手をほどき、ほどかれよう!
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「古流柔術」とは素手で行う日本古来の武術です。様々な流派があり、その内のいくつかは柔道のご先祖さまに当たります。
我流会では私が習い覚えた古流柔術諸流をいっしょに稽古していく楽しい時間と空間を提供します。
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Old-style Jiu-jitsu Practice Club in Horifune, Kita-ku, Tokyo
GARYU-KAI
“Old-style Jiu-jitsu” is an ancient Japanese martial art performed with bare hands. At our school, we will provide you with a fun time and space to practice the old-fashioned jiu-jitsu styles that I have learned.
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